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日本サッカーの歌の元ネタを探ってみるちゃ

珍しく音楽ネタをやりますちゃ。





Wikiに細かい情報があるがで、それを参考にしてみるちゃね。

日本サッカーの歌
https://ja.wikipedia.org/wiki/日本サッカーの歌

1994年によぉ、ワールドカップ招致活動の一環としてよぉ、坂本龍一さんに委嘱して作られた曲ながいちゃね。確かその頃の坂本龍一ちゃ、1983年にYMOが解散された後によぉ、ソロ活動でポップミュージックを中心の活動しとったがいど、1988年のアカデミー賞を総なめした、ベルナルド・ベルトルッチ監督の「ラストエンペラー」の作曲兼俳優を務めてよぉ、日本人初のアカデミー音楽賞を受賞したのを境によぉ、ポップなアルバムを出しとるのと同時に、映画音楽やクラシックに傾倒しとったがいちゃね。ベルトルッチ作品では、「シェルタリング・スカイ」、「リトルブッダ」とかはじめによぉ、1年間に1,2曲ほどやっとらっしゃったがいちゃね。

確かオラの記憶やと、その頃にワールドカップの曲も…という流れやなかったかのう。そんな感じでニュースにも挙がっとったような記憶があるちゃ。

そんでよぉ、ちょうどうちのあんちゃんがアルバムをいろいろ購入しとってよぉ、YMOのファンやったもんやから、坂本龍一の当時のアルバムも持っとったがいちゃ。そんで実際にオラがよく聞いたのは、1994年の「Sweet Revenge」というポップ路線全開のアルバムながいちゃ。



そのアルバムの11曲目に入っとる、「Psychedelic Afternoon」という曲がこれながいちゃ。



JFAが坂本さんに委嘱した時期と同じくらいながで、どっちが元ネタか分からんねど、「日本サッカーの歌」と全く一緒の曲やちゃね。このアルバムのライブツアーの「Sweet Revenge Tour」やと、ボサノバのアレンジになっとるがいちゃ。このアルバムの後半からが、全体的にラテン系の味が加わったアルバムながで、そういった出来になっとるがいちゃ。

歌の中身は、僕のおじいさんはヒッピーだった・・・という歌ながいちゃね。この歌の作詞をしとられるのが、80年代のアメリカの音楽シーンでは伝説のバンドである、トーキング・ヘッズの中心人物のデヴィッド・バーンながいちゃ。ラストエンペラーで一緒に作曲担当しとったわけやけど、このアルバムにも協力しとるがいちゃね。

「日本サッカーの歌」には、YMOとトーキング・ヘッズという、伝説のグループの血が加わった曲とも言えるかもしれんちゃね。








それで、2002年のW杯で日本代表を応援するがに、シングルCDの「桜のころ」が発売されたがいちゃ。ヴォーカルは、 ブルーハーツ、ハイロウズ、クロマニョンズのヴォーカルである、ロックミュージシャン、甲本ヒロトやちゃね。



こうやってみると、いろんなミュージシャンが絡んどるのが、やっぱしおもしいとこかのう。今では、天皇杯のテーマとして、吹奏楽の曲として知られる程度やけど、過去はこういう感じやったがいちゃ。

オラとしちゃ、先に「Psychedelic Afternoon」の方が先知っとったがで、1998年に天皇杯で使われるようになってよぉ、「これは坂本龍一のあの曲やにか」と、当時はビックリしたがいちゃ。ボサノバのイメージが強いもんやから、吹奏楽でやるのは、「なるほど、こんな感じに変わるがやね」と思ったもんやちゃ。それに、1999年の天皇杯決勝を最後に吸収合併された、横浜フリューゲルスのラストマッチの時には、見事にマッチしとって、オラも涙ぐましくなった覚えはあるちゃね。

Jリーグも創設から20年以上経ってよぉ、Jリーグのこけら落としを知らない若い人たちもたくさんサポーターになっとるわけやけど、オラとしちゃ、これからも長く使われて欲しいと思うちゃね。
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