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ショフコフスキーの誕生日やから、ウクライナサッカーに触れるちゃ

元ウクライナ代表で、ディナモ・キエフ一筋の名GKオレクサンドル・ショフコフスキー選手が、1月2日で、41歳になったがで、ちょっこし前のウクライナのサッカーに触れてみたいと思いますちゃ。









まずはショフコフスキーについてやちゃ。

ウクライナのGKといえば、ショフコフスキーというほど、偉大なGKやちゃね。2006年のW杯では、初出場ながらベスト8になっとるがいど、決勝トーナメント1回戦のスイス戦のPKで2本止めて、一躍ヒーローになったのが彼のハイライトといったとこかのう。

地元キエフで生まれてよぉ、11歳の頃にディナモ・キエフのスクールに入って、プロデビューが1993年ながいちゃね。そんでウクライナ代表には1994年に選ばれて、プロキャリア23年で、代表とクラブ合わせて、700試合近く出場しとる鉄人やちゃね。一つのクラブでずーっとプレーするもんちゃ、現代サッカーには珍しくなっとるがに、ユース時代も含めて30年もプレーしとるとは、本当にすさまじいと思うちゃね。

今シーズンのUEFAチャンピオンズリーグではよぉ、1999-2000年シーズン以来の決勝トーナメント進出するディナモ・キエフの主力としてプレーしてよぉ、4試合の無失点を含めて、今大会3位のセーブ率を誇っとるがやと。監督はよぉ、16年前の大会でエースストライカーとして活躍しとった、セルヒー・レブロフやから、なんか不思議な感じがするちゃね。



次はショフコフスキーがサッカー人生を全うするディナモ・キエフを率いた、ウクライナ最高の指導者であるヴァレリー・ロバノフスキーについて触れるちゃね。

ロバノフスキーといっちゃ、70年代からディナモ・キエフを率いて、ソ連代表でも監督をして、約30年もウクライナのサッカーを支えた重鎮やちゃね。2002年に心疾患で急死するがいど、切れ味鋭いウクライナ伝統のカウンターサッカーを築き上げたのちゃ、ロバノフスキーさんの功績やちゃね。




オラにとっちゃ、ちょうど海外のクラブサッカーを見始めて2,3年くらいによぉ、アンドリー・シェフチェンコと今のディナモ・キエフの監督であるセルヒー・レブロフの強烈2トップを擁するディナモ・キエフがよぉ、抜群のカウンターサッカーで猛威を奮っとったがいちゃ。特に1998-1999シーズンのチャンピオンズリーグはよぉ、レミアリーグの王者やった、アーセナル相手に完勝してよぉ、準々決勝ではレアル・マドリーに勝ってよぉ、三冠争いしとった、マンチェスター・ユナイテッド、バイエルンと肩を並べんかというくらいの、すさまじい時代やったがいちゃ。

ロバノフスキーといえば、サッカーで真っ先にスポーツ科学を取り入れた指導者と言われとるちゃね。










1974年のディナモ・キエフのアメリカ遠征時によぉ、たまたまNBA見てヒントを得たらしいがいど、その時にやっとったプレッシングと強調文速攻のバスケを、サッカーに取り込もうとしたわけやちゃ。それをよぉ、地元の大学教授と協力してよぉ、コンピューターと多数のカメラを使って、徹底的に分析して、数値化、データ化したがいちゃ。主な目的としちゃ、3つあってよぉ、データを使った選手の能力測定に、ゲーム中の選手の動きを解析する試合分析に、コンディション調整なるちゃ。

それを元にフィジカルトレーニングとか、判断力テストとか繰り返してよぉ、戦術面を徹底させたわけながいちゃ。選手獲得にしても、そのサッカーに適応させるくらいの運動能力のテストだけやなくて、動体視力、形状記憶能力とかまで、脳みそのテストまでしとったわけながいちゃ。そんで試合で使えるようにするためによぉ、サッカーで起こり得るシチュエーションをよぉ、選手達に徹底的に記憶させて、それを判断力のテストも何度もさせたわけながいちゃ。

ここまできたら、人間の機械化やちゃね。

実際問題よぉ、現代のサッカーちゃ、スペースはどんどん減っていく上に、スピードがガンガン上がっていくわけやけど、その中で対応していくためには、ボールが来る前から適切にプレー選択できるようにせんならんちゃね。これが今から40年前からのロバノフスキーの持論ながいちゃ。

それを実現するためにはよぉ、常軌を逸しとるくらいのデータ収集とトレーニングが必要やったわけやけど、スポーツそのものが国策になってよぉ、徹底的な英才教育を施しとった共産主義諸国やからこそ、当時はできたかもしれんちゃね。

ましてや、ディナモ・キエフちゃ、第2次世界大戦の時によぉ、ナチスドイツの占領軍とサッカーの試合をしてよぉ、2度も勝利したがいど、独裁者の怒りを買って、選手が処刑されたという「死の試合」があった背景もあるからか、ウクライナちゃ、サッカーに関しては、かなりのプライドを持っとるとこ。ほんじゃから、ソ連リーグとはゆっても、ディナモ・キエフちゃ、事実上のウクライナ代表であってよぉ、モスクワには対抗意識が凄いとこやちゃね。深く掘り下げると、また政治的な話が入ってくるわけやけどのう。


そういう背景とかあるもんやから、スポーツに対してちゃ、えらい学術的な話になってよぉ、ブラジルのサッカー選手にありがちな、曲芸的なテクニックちゃ、排除されるようになっとったがいちゃ。安易にドリブラーを並べるような、当時のブラジルみたいがやなくて、シンプルに最短距離で素早くゴールを狙うことに拘っとったがいちゃ。決められたこと、パターン化されたことを、作業するようにプレーを選択肢してよぉ、確実にゴールを狙うという感じにのう。

その代わりによぉ、犠牲にしたもんも多くて、それこそ予想外のことをする選手は切り捨てられるしよぉ、戦術とかあんましにも徹底されとるもんやから、代表チームもほとんどがディナモ・キエフの選手になったりとか、あとはディナモ・キエフで活躍した選手が、他所で適応できんとか、なんかいろいろネックになる部分はあったがいちゃね。







実際に、西欧とのマネーゲームに勝てないディナモ・キエフちゃ、1999年に眩い輝きを放ってよぉ、それ以降は下降線をたどるがいちゃ。2002年にはロバノフスキーがよぉ、心疾患で亡くなるがいど、この辺りから、ウクライナのサッカーも、富豪がついたシャフタール・ドネツクの後塵を拝するようになっていくがいちゃ。ロバノフスキーの後を継いだミハイリチェンコちゃ、彼もウクライナの名選手やったがいど、彼にはロバノフスキーほどの指導者やなかったし、あの当時の組織的なサッカーちゃ、ディナモ・キエフもできんがになってきたがいちゃ。結局はディナモ・キエフもマネーゲームに参加して、西欧から選手を獲得する方向になるがいど、「美しい」と言われた、組織的なカウンターサッカーから、遠ざかっていくばかりやちゃ。










これは夢みたいな話になるがいど、オラとしちゃ、Jリーグで上を目指すようなクラブでよぉ、どこのカテゴリーのもんでもいいから、地元の大学とか企業とかと協力しながらよぉ、徹底的なデータ主義でやるとこは見てみたい気はするちゃね。 それも選手育成の段階から徹底させてよぉ、効率的なサッカーだけを徹底的に求めるチームをのう。

上を目指すあまりに、選手獲得だけに奔走しとるようなクラブちゃ多いけど、研ぎ澄まされた組織的なサッカーにこだわってみた方が、将来的にはJ1ぐらいで定着できるんやないかと、推測しとるけどどうかのう?

ロバノフスキーのことを調べとったら、実は日本のサッカーちゃ、「徹底的」ではないかもしれんちゃね。
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