サッカーは楽しむのが原則やちゃ。細かいことは二の次やちゃ
その場の空気や雰囲気に左右されることちゃ、多少はあるがいど、「楽しむ」ちゃ、自主的なもんかと思うちゃね。不愉快な場を外したり、考え方を転換すりゃ、意外とどうにかなるもんやしのう。「他人が」とか「周りが」やなくて、まずは「自分が」やと思うちゃね。自分の人生やからのう。
— とれぱん先生 (@torepan_sensei) April 4, 2016
まずはよぉ、なんというかよぉ、みんな真面目やちゃね。
なんだってそうやけど、「楽しむ」という行為ちゃ、自主的なもんかと思うちゃね。「周りが」どうこうやなくて、「自分が」どう付き合っていくかであって、人がどうこうというのは、あんまし関係ないかと思うちゃね。
実際にJリーグ見ない系女子に最近言われたのは客の当事者意識が強過ぎてとっつきづらい、だったな
— 川島ソーナー (@KAWASHIMASONAR) March 30, 2016
この関係のツイートでよぉ、ロック総統と少しツイート交わしとったがいど、オラの個人の考えからしちゃ、スポーツのファンが当事者意識を持つ持たないちゃ、別に問う必要もないかと思うし、それぞれの人がよぉ、自分が楽しめるスタンスで、スポーツに付き合っていくほうが、よっぽど大切ながやないかと感じるちゃね。
クラブを愛してやまない人にとっちゃ、別に「オラがカターレやちゃ」とか言うくらいの気持ちで何でも献身的にやっとらっしゃってもいいとオラは思うし、そうやない人にとっちゃ、1日ごとに贔屓チームを変えるくらいの、ケツの軽いつきあい方をされとってもいいかと思うちゃね。それぞれがそれぞれの思う形でスポーツに触れていればいいわけやし、そこに「応援はこうやないといけない」とか、「複数のチームのサポーターをするとかありえん」とか、「ルールも知らないで、声も出さんような顔だけ追っとる女子ファンはいらん」みたいなのちゃ、そんなの他人なんて知らんちゃ。人それぞれ勝手にやらせりゃいいにかー・・・としか思えんがいちゃ。
ほんじゃから、オラとしちゃ、「ルール守ってさえいれば、楽しむために何しても良い」・・・と考えるわけやちゃ。
オラは今シーズン開幕してから、関西で3試合(ガンバ、セレッソ、奈良クラブ)、関東で1試合(川崎フロンターレ)、そして富山で1試合と、すでに5試合見てて、いろんなとこを摘み食い感覚でサッカーを見とる感じながいちゃ。実際、川崎では約10年ぶりくらいによぉ、等々力のGゾーンで声出して応援しとったわけやけど、いろんなとこいって、雑食しながら楽しむようなやり方は、たぶん今年も変わらんかと思うちゃ。・・・そんでも10年ぶりやったがに、フロンターレの応援に参加してみたら、いろいろ感情が湧き上がるもんやちゃね。
ガンバは吹田スタジアムには圧倒されたしよぉ、セレッソには柿谷のスーパーゴール見れたしよぉ、奈良クラブは相変わらず楽しそうやし、カターレは松下さんのカレー屋が出店されてて驚いたことと、あんましサッカー観に行っとらんもんと一緒におったから、彼が楽しむさまを見ながらよぉ、オラも楽しんだりして、フロンターレはGゾーンで応援に参加したりと、その地その地のサッカーに関わる姿形をよぉ、いろいろ満喫しとったりするがいちゃ。
こないだから、コミュサカの意味を考えとるツイートはよく見られるがいど、オラは特に考えたこともないちゃね。あとは総統の訓示とかも深くまで考えたことないちゃ。ただ、楽しそうやと感じるだけで、深く突っ込むこともないかと思うちゃね。周りがどうこうより、まずは自分が楽しめるかどうかやちゃ
— とれぱん先生 (@torepan_sensei) April 4, 2016
Jリーグだって、JFL以下のリーグだって、楽しむのはオラ自身であって、そのカテゴリーがどうこうの問題やないちゃね。そもそもJFL以下のリーグとか、チーム数も段違いやから、全部が全部チェックすることはできんちゃ。好きなとこ切り取るだけで十分やちゃ。
— とれぱん先生 (@torepan_sensei) April 5, 2016
ついつい「フットボールは人生だ」とか「サポーターという生き方」みたいなデカい話をしたくなるけど、そんな壮大な語りが初心者の人をビビらせてないかという不安もなくはない。
— だじゅうる@4/9松本 (@dajudajudaju) April 4, 2016
別に人生じゃなくていいよ。サッカー観るのなんて基本的には単なる暇つぶしだよ。その後のことはハマったらまた考えよう
最近はTL見とってもよぉ、元日本代表のフィジカルコーチがJリーグのサポーターはヌルいとかゆったりしとるし、サポーター論とか、コミュサカの意味を考えたりと、展開されとるもんとかおったりするわけやけど、あんまし細かいことは考えんことは大切やないかと思うちゃね。ラーメン屋へ行くがに、店主がどこで修行したとかの話とか、どこぞの材料を使っとるとか、一から十まで知らんでも、結構おいしく頂いたりしとるわけやけど、日本のサッカーもそんな軽いノリでいかろげと思うわけやちゃ。
オラのスタジアムに関しちゃ、ゴール裏で熱く応援するもんも、DSやりながら見とる子供も、居酒屋ムサリクみたいな感じも、顔ファンも、渋谷スクランブルにおるような感じのもんも、戦術ノート持ってじっくり見とるもんも、PC持って仕事しながら見とるもんも、ルール守れば自由やと思うちゃね
— とれぱん先生 (@torepan_sensei) March 29, 2016
イケメン選手の顔を追っとるような若い女性がおっても何も変な事ないと思うし、
いつも勝つチームだけを応援するような人がおってもいいと思うし、
ルール守ってりゃ、客席で居酒屋みたいなこと始めてもいいと思うし、
スタジアム管理者からクレームなけりゃ、流しそうめんやってもいいと思うがいちゃ。
ただ、「自分が楽しめるか?」に尽きるちゃね。
当事者意識を持つのはいいと思うがいど、スポーツの原則は、語源の「des-port(場所を離れる)」から来るように、やっぱし「楽しむ」ことやからのう。当事者意識自体の有無は問わんちゃ。ただ、あくまでも「楽しむ」ための手段の一つとして、オラは考えるちゃ。
— とれぱん先生 (@torepan_sensei) March 31, 2016
当事者意識を持ってチームを考えることを求める声ちゃ、最近のJリーグではよく聞かれてよぉ、それこそスポンサー様の商品は積極的に買おうとか、毎試合見に行けると限らんがにシーズンチケット買おうとか、ユニフォームとマフラーなどグッズは揃えようとか、いろいろ言われる傾向が目立つちゃね。
しかしよぉ、それも人それぞれの判断でいいとオラは思っとるし、無理がなく継続できるスタンスをよぉ、一人一人が決めていけばいい話で、何でもかんでもチームの為に働こうみたいなノリちゃ、よっぽど好きな人が積極的にやればいいと思うがいちゃ。そこに仕事みたいな感じが出たら、オラはどうかと思うし、当事者意識とかスポーツを楽しむ延長線上にあるもの…と考えるちゃ。
これはJリーグにも言える話やし、他のジャンルにも言える話やけど、不快なもんだけ切り取ってりゃ、何の分野やろうが、そりゃストレスは溜まるちゃね。全体を変えてしまうのは非効率やから、自分が変えた方が効率的やからのう。
— とれぱん先生 (@torepan_sensei) April 5, 2016
事あることで、「この人は自己顕示欲の塊」みたいなこと言う人おるけど、その言葉こそ意味の無いものはないかと思うちゃね。二元論的には捉えられんし、仮にその人が自己顕示欲あっても、誰も困らんからのう。
— とれぱん先生 (@torepan_sensei) April 5, 2016
売名行為するつもりはオラはないがいど、結果的にそうなったとしても、誰も困らないもんかとオラは思ってるちゃ。「人が困らない(困る必要がない)」とこまで気をつける義務とかオラには無いしのう。 pic.twitter.com/FWbXhYcmNC
— とれぱん先生 (@torepan_sensei) 2016年4月2日
あとは、最近はJリーグ全体のことやったり、「コミュサカとは?」みたいに、空気感をやたら意識される方が多いかと感じられるちゃね。武蔵野陸上競技場でやっとった、東京武蔵野シティFC-ホンダロックSC戦でよぉ、ロック総統を中心とする、アウェーのホンダロックのサポーターがよぉ、酒とかツマミとか持ってきて、居酒屋イベントみたいなことやっとって、それについて賛否がどうこうで盛り上がっとる感じで、オラもちょこっと呟いたりしたがいど、結局オラが思うとこはよぉ・・・
「自分が楽しむかどうかは自分が決めることで、他所のものに何かゆってもしょうがない」
・・・と思うわけやちゃね。
基本的にスタジアムちゃ、ルールさえ守れば自由やとオラは思っとるがいちゃ。生まれも育ちも違えば、そこの応援スタイルだって違ったりするもんやし、仮にアウェーだったとしても、その席を取った人の判断で、雰囲気も変わっていくもんやしのう。これがどうしても良くないと考えるがなら、それこそルール改正を求めるのが筋かと思ったしのう。
理屈は楽しみを膨らませるスパイスやと思うちゃね。そこは「スポーツを楽しむ」という根本を超越すると、わけわからんがになるしのう。考えが違っても、必ず交わらないといけないわけないし、都合のいいレベルでお付き合いすればいいと思うちゃ。
— とれぱん先生 (@torepan_sensei) April 4, 2016
正解のないことに無理矢理正解を作ったところで、それによって某かの軋轢は起きるもの。物理的・金銭的な損害を伴う迷惑行為や、反人道的行為などがない以上は、単なる好き嫌いの表明でしかないし、なおのことどうだって良い。あたくしはそういうスタンス。
— KAZZ@4/10松江市陸 (@kazz_kazz_kazz) April 5, 2016
毎週訪れるわけやないから、「たまにはある」程度で、オラだったら済ませるかと思うちゃね。合わない価値観を無理に交わろうとしたら、それこそ収集がつかなくなるだけやし、「割り切る」とか「避ける」という手もあるかと思うがいちゃ。
なんのせ、サッカーだって、Twitterだって、ネットだってそうやけど、まずは自分が楽しむことやちゃね。他人の目とか周りの空気がどうこうの問題やないがいちゃ。個人差あるもんにどうこうゆってもしょうがないからのう。
ルール守って、人に損害を与えたり、半人道的でなけりゃ、どんだけでも自分にとって都合のいいようにやればいいし、周りもルールに書いていないことまでは、「起こり得ること」として、あんまし騒がないことは、あらゆる人々が物事を楽しむためには良いかと、オラは思うわけやちゃ。答えが出ないもんに、原理原則を求めようとしたら、かっちゃかちゃになるからのう。
オラの意見に反古するすることだって、賛成することも、別に何言ってもいいと思うし、どういう風に向き合うのは、人の自由やと思うちゃね。
その人その人が楽しむという、スポーツ本来の原則がなっていればのう。